11/1 Ray’s 7th Galleryを終えて

11/1(日)に大塚MEETSで、ヤマノレイソロ企画ライブをやらせて頂いた。

僕がリードギターを弾かせてもらってたアコギユニット「或ル日」が2020年10月で解散した。

その後、お世話になってきた方々と話していく中で「どんどん次に進んで行った方がいいよ」「周りの人達が楽しいと思える事をやろうよ」という言葉をいただき、そして「ヤマノレイはこれからどうしてくの?」の問いに行き着いた。そんな言霊に突き動かされ、その問いに答えたいと感じたため、ソロライブを企画させて頂いた、というのがざっくりとした経緯だ。

その時点では何も決まってなかった。
脇を固めてくれるバンドもないし、或ル日以外で披露できる曲もほとんどなかった。

悩んでる最中、よく対バンやイベントを一緒にやらせて頂いてたShinobu Motooriさんと、TOKYO ACCIDENTSのJackie Jacklinさんが「オレらで良かったら力貸すよ」と声をかけてくれた。
界隈でアドバイザーもされてるマシリトの印藤勢さんが「相談に乗るよ」と言ってくれた。
めちゃくちゃ嬉しかった。素直に思い切り頼らせてもらおうと思った。
それが8月の終わりだった。

 

目標は応援してきてくれていたお客さんやお世話になった方々が、ライブを観終わって「今日楽しかったー」と言って帰ってもらう事。
自分がやれる範囲で、そこにとにかくフォーカスした。

 

まず、僕はアコギでやりたい事があった。弾き語りをやろうと思った。

或ル日でライブ出演した時、弾き語りの方々と対バンする機会も多かった。たくさんアコースティックライブを観させて頂く中で、なんとなく隙間を見つけた。
それは、「3フィンガーや変則チューニングなど古くからあるアコギの演奏技術を取り入れてる人がほぼいない」という事だった。
それを今やるのは逆に新しいのではないかと思っていた。
「アコギでもいろんな事ができるんだ」というアプローチも新鮮で刺激的ではないか。
ただし、技術のお披露目だけではない、曲としてエモーショナルなものにしたかった。

方向性は決まった。9月に曲作りに入った。
この曲はブルースのチューニングでスライド・ギターで。
これはトラッド・フォークのチューニングで。
これは3フィンガーで。
1曲は80〜90年代の自分のルーツが色濃く反映された曲。
歌詞も、曲と相まって想像がかき立てられるものにしたかった。
1ヶ月で4曲できた。自分にとってはこれまでにないハイペースだった。
既存の演りたい曲と合わせて6曲。10月はとにかく出来立ての曲を覚える期間にあてた。

 

Shinobu Motoori GroupとTOKYO ACCIDENTSに、出演して頂きたい旨をお伝えした。快諾してくれた。
以前はその2組と、解散した或ル日と、休止してしているモグらいおんの4ユニットで壬戌会(じんじゅつかい)というイベントをやっていたため、最初は壬戌会をやろうと思った。モグらいおんの出演は叶わなかったが、ベースのつっくんが話に乗ってくれた。
話し合う内に、「壬戌会がサポートするヤマノレイ企画」という形に落ち着いた。

つっくんにどの様に参加してもらうか話す必要があった。
最初は、つっくんと僕で(ヤマノレイのソロとは別に)何か演奏しないかオファーを出したが、フルセットはさすがに無理という事でその話はなくなった。が、それよりもベストな選択肢があった。

以前、TOKYO ACCIDENTSとつっくんはジョイントしてライブを行った事がある。ベースレスのTOKYO ACCIDENTSにモグらいおんのベーシストが参加した、両方を知る人からしたら興味をそそるスタイルだった。
だが、コロナ禍の自粛期間と重なってしまい、双方の曲を織り交ぜた楽しいセットリストは、急きょ無観客配信のライブを1度行なったのみとなっていた。
もう一度、一緒にライブをやる方向で既にTOKYO ACCIDENTS、つっくんの間で話は進んでいた。
今回、ソーシャル・ディスタンスの範囲内でお客さんを入れる事になっていたので、お客さんがいる中で、そのユニットを観てもらえたら僕も嬉しいと思ったし、きっと応援してくれてるお客さんも間近で観たいに違いないと思った。
TOKYO ACCIDENTS withTとして出演頂く事になった。

つっくんと僕のユニットを、僕は諦めきれなかった。
つっくんと僕の組み合わせが、なんとなく場の空気を暖かくする予感があった。
再度つっくんに、僕と一緒に軽い内容で「前説」をやってくれないか掛け合った。
無茶振りだったが、つっくんは受けてくれた。

Shinobu Motoori Groupは、ライブ活動を一旦休止していた。11月も本来はライブを演る予定ではなかったのではないだろうか(そんな事なかったらごめん)。
そんな中Shinobu Motooriさんもドラムのまーくんも出演オーケーを出してくれた。
おそらくバンドの予定を色々動かしてくれたと思っている。
いつでも発進できるんだぜという凄みも感じた。
応援してくれてるお客さんも、久しぶりのShinobu Motoori Groupを楽しみにしてくれると思った。

 

今回、ライブハウスの大塚MEETSサイドで、配信もおこなってもらった。僕の方では主に、昔お世話になった方々に、現状報告として今の僕を観て頂きたい気持ちがあり、遠方へも声をかけさせて頂いた。
「元気そうにやってんなー」とか、微笑ましい心持ちにちょっとでもなっててくれてたらありがたい。

 

イベントタイトルは自分がやっていきたいと思っているロックとアートを掛け合わせたものにしたかった。
ロックンロールで多用される7thコードと、画廊の意味でGalleryをくっつけて「7th Gallery」にしようと思った。
「7番目のギャラリーってなんだ?」など想像力がかき立てられる感じが自分の中で好きになった。「ライブハウスを音の展覧会に」みたいなミックスされたイメージが自分らしい気がした。
検索すると同じ名前が結構ヒットしたので、アタマに「Ray’s」を付けた。

 

来場者への特典ステッカーは、今回のために作ったものではなかった。
僕が以前になんとなく思いつきで誰に見せるでもなく壬戌会の主要メンバーの絵をレトロゲームっぽく描いたものを、せっかくなら見てもらおうとステッカーにさせてもらった。
子供が、描いた絵を大人に見せる時の気持ちに近い。
見せられる方の都合はお構いなし、という点も含めて。

フライヤーも僕が手掛けさせてもらった。

とにかく何もかもわがまま放題やらせていただき、みんなからも大塚MEETSからも暖かくそれを見守って頂いた。
こんな贅沢を許される事はそうそうないと思う。

 

ライブ当日。
つっくんと僕の前説。
つっくんは、忙しい中僕の想像を遥かに上回る準備をしてきてくれていた。僕の無茶振りに、めちゃくちゃ応えてくれた。
前半トークと、或ル日の曲を1曲一緒にやってくれた。
おかげで会場の空気は暖まっていた。
二人の組み合わせが、というよりつっくんのパフォーマンスがそうさせていた。

そのままつっくんはTOKYO ACCIDENTSにジョイント(忙しくしてすみません)。
TOKYO ACCIDENTSとモグらいおんの曲も織り交ぜたセットリストを間近で観るのはやはり楽しかった。
Jackieさん、つっくん、ドラムのまなかさんの3人のMCの楽しげな雰囲気が、更に拍車をかけた。

Shinobu Motoori Groupは相変わらずの安定感で、8弦ギターも飛び出し、相変わらず2人とは思えぬヘヴィネスさとエモーショナルさ。休止明けの感じも愛嬌に変える、ライブハウスで鍛え上げられてきたタフさ。


この後にアコギ一本で出て行く事を後悔した。

ヤマノレイ。僕の出番は、初めてづくしの状況を、観に来てくれた皆さんが支えてくれてなんとか完遂できた、そんな心持ちだった。
あとでアーカイブを観たら、ギターの音がとても綺麗だと思った。PAのヤギさんのおかげなのだが、とても僕好みのアコースティックの音がしていて嬉しかった。
拙いながらも界隈であまり耳にしないスタイルの曲を披露できた、という自負も少しだけある(笑)

終了後、多くの方が「良い夜だった」と声をかけてくださった。
課題や至らなかった事も多々あるけど、僕の目標は概ね達成されたと感じた(物足りなかった方はごめんなさいね)。

本当に関わってくれた方々や、観てくれた方々が、一緒になって作ってくれた夜だったと思う。
そんな楽しい夜の小さなきっかけのひとつになれてたら、とても嬉しい。

はたから見たら、アングラのユニットがひっそりとなくなり、その内の1人がソロライブをやった、ただそれだけの事なんだけれど、中にいるとこんなに大忙しで、こんなに人に感謝して、こんなにもドラマチック。色々なことが重なった嬉しい夜だった。貴重な経験をさせて頂いた。

本当にありがとうございました。

これからも音楽やったり絵を描いたり何か作ったり色々な事をやるかと思いますので、見かけたら気にかけて頂けると嬉しいです。

余談:まだ物販がないので、昔CDショップの店員をやってた時のスキルを活用して、サブスクを宣伝するPOPパネルを作って置かせてもらった。
父がアートイベントの企画などをやっていて、僕も手伝わせてもらった事があるんだけれども、その時にどのように進めていくかを肌で感じた事が、今回企画をやるにあたってかなり役立った。
過去の仕事の経験が意外と無駄にはならないもんだと思った。

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