僕(1983年生まれ)より上の世代と、僕より下の世代って、何か考え方や価値観が違う気がしていた。
ずっとなんだろうなーってモヤモヤ考えていた矢先、カジサック動画で、たまたまそういう話になってた。
その中で千原ジュニアさんが「なんとなくわかった」と話し始めた内容に、僕は「それだー!」と思った。
動画はこちら↓
以下、発言を一部引用。
“キングコングぐらいと俺らってすっげー違う感じすんねん。急に。これ何かって言ったら「照れ」やねん。「照れ」が美談美学としてあった世代やねんまだ俺らは。”
“だからその(カジサックの感謝を言葉にして伝えなさいという)教育方針もすっごいええのやっぱ。照れって結局あんまりええ事ないもん。”
“だからなんでも伝えた方がいいっていうのも、結局言葉にせんと伝われへんのやから。どんだけ感謝してても。どんだけ思ってても。”
“コントだってもう、1回も合わせてないみたいな顔して舞台立つの(舞台裏を知られるのが照れくさいから)。(本当は?と問われて)めちゃくちゃ稽古する。”
なるほど、違いはここかーと納得した(他にも色々違いはあるとは思いつつ)。
練習してる所を見せず、サラッとやってみせる。
愛してても愛してると言わない。
照れ隠しで逆の事を言ってみたり。
食事を残さず食べる事で愛情を表してみたり。
それが「もー照れちゃってー」と伝わればいいけど、「なんて酷い」と捉えられる。
きっと昔もそう捉えたり傷ついた人もいたんだろうけど、そういう気持ちを表しやすかったり、目に見えやすくなったりして、変化していってるのが現代なのかなと感じた。
自分もそれなりに年齢を重ねてきて、時代ってこうやって変わっていくんだなと思った。
僕にとってそれは、子供の頃見てきたお笑い芸人が、今やアタリがキツい芸風に捉えられ始めてきた事と、自分も段々そう感じるようになってきた事に象徴されていた。
でもやっぱり素直に伝えた方が伝わるし、「上手だね」とか「今日も素敵だね」とか、言われたらやっぱ嬉しいよなと思う。
そうして接してこられたカジサックの奥様やお子様は、生き生きと暮らしているように見える。
照れが美学のちょっとダンディで痛快な時代の終わりに、寂しさやそう思う自分も古くなっていってるんだなというせつなさと、今の時代の暖かさをないまぜに感じながら、僕も「ご飯美味しかった」などなどちゃんと口に出していこうと思った。